9 #県外から就職した方のインタビュー

「利用者様のため」との原点を忘れずに仕事をすれば間違いなく楽しい仕事になります!

鈴木 健太 さん

勤務施設
障害者支援施設 希望の園(いわき市)
就職時期
平成30年4月
取材時期
令和2年9月

Chapter.01

「福祉」の仕事との出会い

広島県出身で、高校卒業後に憧れの東京で大学に進学をしました。経済学部だったので福祉のことは何も知らなかったし、福祉分野への就職も全く考えていませんでした。就職活動を始めて、「自分は営業などの職種は向いていない。自分を偽ることなくできる仕事は何か…」と考えていたとき、大学のキャリアセンターに東京の障害者支援施設の職員募集があったのを見つけ、何となく面接を受けたところ合格し、そのまま働くことになりました。

施設で働き始めて一週間くらいで「この仕事は楽しい!」と思い、ありがたくも今日までその気持ちに変わりなく働くことが出来ています。利用者さん一人ひとりの関わりに時間をかけ、ふれあいを大切にするこの仕事にとても魅力を感じ、どんどん引き込まれています。

Chapter.02

「福島」とのつながり

東京の知的障害者支援施設に11年間勤務しましたが、そこで一緒に働いていた人と結婚しました。妻は福島県の浪江町出身です。妻の両親と祖母は浪江町に住んでいましたが、東日本大震災と原発事故の影響により福島県を転々と避難し生活を送っていました。その頃、私たちにも子どもができ、今後の生活をどうするか妻と真剣に話し合いました。

妻の両親と祖母を少しでも手助けしたいとの思いと、妻の福島県へ恩返しがしたいとの思いから、私たち家族が福島県に行き、妻の両親たちと一緒に暮らすことを決め、平成30年3月に福島県いわき市に引っ越してきました。祖母は私たちが引っ越してきたその日に亡くなりましたが、今は妻の両親と一緒に楽しく生活しています。

Chapter.03

「福祉」の仕事への想い

福島への移住に伴い、東京の障害者支援施設を退職して、福島県いわき市の社会福祉法人育成会に就職しました。現在は、いわき育成園(障害者支援施設)の生活支援員として働いています。育成会では、知的障害のある方への「意思決定支援」という考え方をとても大事にしています。「意思決定支援」を実践するために毎年職員研修が行われ、その考え方を職員に浸透させ利用者さんの支援にも活かされるよう努力しており、これはとても素晴らしいことだと思っています。

この仕事をしていて、利用者さんが笑顔になったり、喜んでくれたり、生き生きとした表情を見せてくれたりすると、とても心が暖かくなります。また、利用者さんへの支援を通じて自分自身が人間としてめちゃくちゃ成長させてもらっていると感じていて、それがこの仕事の一番の魅力だと思います。今は人間力が求められる時代なので、人間力を高めたければ、ぜひ!福祉の仕事をして欲しいと思います!また、利用者さんと一緒に外出したり、行事に参加したりする時間がとても好きです。このときは、利用者さんが普段見せないような顔をいろいろと見せてくれるのでワクワクします。

仕事は体を使うことも多く疲れますが、夜勤明けに家の近くのいわき湯本温泉公衆浴場「みゆきの湯」に寄って仕事の疲れをとって帰ることが楽しみとなっています。ここは安い料金で利用できるのも魅力です。夜勤明けの温泉があるからこそ「もうひと踏ん張り仕事頑張ろう!」という気持ちにもなれるし、リフレッシュにもなっています。

Chapter.04

これからの夢や目標

マラソンが趣味で、福島市にある飯坂温泉の「湯のまち飯坂・茂庭っ湖マラソン」という大会に職場の方と参加し、紅葉の綺麗な中とても気持ち良く走れました。いわき市にも「いわきサンシャインマラソン」という有名な大会がありますが、大雪やコロナ感染症の影響により3年連続で中止となりまだ参加できずにいます。近い将来、妻と2人の娘たちと一緒に家族4人で「いわきサンシャインマラソン」に参加することが私の夢です。

仕事に関していえば、40歳までに社会福祉士の資格をとることを目標にしています。また、日本知的障害者福祉協会の通信教育を受けて知的障害援助専門員を取得し、さらに経験を積んで上位資格の知的障害福祉士の取得を目指していきたいです。

先の話ですが、定年退職したらグループホームなどの少人数で暮らせる住まいを経営して、現場で利用者さんと関わり続けたいという夢があります。福島には永住するつもりでいます。これからも情の深い福島の人たちとともに楽しく仕事を続けていきたいと思います。